職業としての『大学教員』の実態 ~経営者との類似性~
研究者としての『大学教員』
国立大学における大学教員の仕事はなんであろうか?大学教員は研究者であり,なおかつ教育者でもある.ところで「実は一般にあまり知られていないのではないか?」と思う事実がある.大学教員の主たる用務はどちらかというと『研究』である(全大学ではないかもしれないが,恐らく国立大ではその方が多い).私は大学教員になるまで知らなかったのだが,実は労働契約/法律のレベルで『研究』が主務であることが規定されている:
「教授研究の業務」とは、学校教育法に規定する大学の教授、准教授又は講師の業務(以下「教授等」という。)をいうものであること。「教授研究」とは、学校教育法に規定する教授等が、学生を教授し、その研究を指導し、研究に従事することをいうものであること。「主として研究に従事する」とは、業務の中心はあくまで研究の業務であることをいうものであり、具体的には、研究の業務のほかに講義等の授業の業務に従事する場合に、その時間が、多くとも、1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものについて、そのおおむね5割に満たない程度であることをいうものであること。
多くの国立大学の教員は専門業務型裁量労働制で働いているが,この契約を適用するための条件として,研究が全業務の50%を超えている必要がある.つまり,労働契約上は『研究 > 授業/学務』という重みを確実に与えられており,国立大学の大学教員は研究者としての側面の方が強い(注1, 2).これは『職業としての大学教員』を理解する上で知っておいた方がいい基礎事実だと思う.
注1:ちなみに,実態としての教員はこれを充たしているとは限らない.人に寄るかもしれないが,周囲の教員の話を総合すると,教員が実際に研究使用できている時間は50%も無い方が多いのではないかと思う.多くの教員は(狭い意味での)教育/学務に時間を費やしている.なので,学生目線で見たときに,教員の主務はあたかも教育であるかのように見えるかもしれない.
注2:私立大学の教員に関しては,そもそも専門業務型裁量労働制で働いていない教員も多いらしい.(参考サイト) 大学院教育=学生との共同研究
研究を主たる業務とする大学教員が国立大学では多いことを説明した.では,大学院での教育はどのように行われるのだろうか?それは,教育の一環として学生と共同研究することで,教育と研究を両立させる運用(少なくとも理系大学院では)を行っていると金澤は理解している.つまり,
1. 学生が教育課程の一環で研究を行い,教員は教育的に学生を指導する
2. 学生の研究テーマは,教員の研究テーマとある程度一致させる
3. 学生が論文を書く場合は,学生の論文指導を行うと同時に,教員も共著になる(教員が貢献することは前提)
4. そうすれば学生の研究が進むと,自動的に教員の研究も進むであろう
という実態になっていると理解している.つまり,研究≒(広い意味での)教育となるように運用することによって,教員の研究時間は実質的に50%を超えるように運用することを目指す(実際に充たされているかはわからないが).
大学院での学生と指導教員の関係
ここまで話をすると,理系大学院では学生と教員の関係は純粋な師弟関係だけではなく,雇用関係に近いと思えてくるであろう(次の関連記事を参照:RA雇用について,ラボの研究費について).つまり,優秀な学生は実質的に教員の研究補佐を行っており,ある種の『共同研究者』としての側面を強く有しているという事だ.優秀な学生が所属している研究室では,研究成果が共著論文の形で多く出ることが期待できるため,教員として非常に嬉しいという事になる. 特に,この関係を明示的に扱うのがRA雇用になる(関連記事:RA雇用について).RA雇用では学生は教員(principal investigator, PI)に金銭的にも雇用され,実質の補佐研究員としての仕事を任される.ちなみに,「欧米の大学院に留学するとお金がもらえるのに,日本は貰えない.これはおかしい」というような言説がしばしば見られるが,欧米での給与の多くはこのRA雇用(もしくはTA雇用を混ぜたTRA雇用)であることが多い(もちろん,給与型奨学金もあるだろうが).つまり,欧米では日本以上にPI教員・学生の関係は,雇用者・被雇用者の関係になっている. ちなみに日本でもTRA雇用を打診するPI教員はいる.つまり,日本と欧米の違いは本当は制度的にはあまりないのではないかと思う.違いがあるとすれば,日本のPI教員のTRA雇用はあまり宣伝/公開されていないことかもしれない.また欧米(特に米)では,学生をRA雇用するための外部資金を取って来れないと,そもそも実質的に学生が取れない(つまり,研究が停滞してしまう)という話を聞いた.逆に言うと欧米ではTRA雇用のオファーを出せる程度に非常に優秀な学生以外は入学できないという話も聞く.つまり,給与が出ることが前提になっている分,入学が厳しいらしい.そういう意味では,日本はTRA雇用のオファーが出るかどうかが分からない代わりに,大学院の入学が簡単になっている.
注3:ちなみに金澤は欧米でのPI経験がないので,今までの研究者経験の中で,関係者の話を一通り聞いた結果をここでまとめている.なので部分的に間違いがある可能性は大いにある.その場合は遠慮せず金澤に教えてほしい.記事を訂正する意思があります.
注4:その意味で言うと,日本の大学院が一概に悪いとも言えない.日本の大学院で給与を貰えないことを嘆く学生が,本当に欧米ならTRA雇用される程優秀なのかは,自明ではない.例えば学部で学術論文を出版できるほど優秀であればもちろん欧米の方が条件は良いかもしれないが,そうでない場合はそもそも日本の大学院しか入学できない可能性がある.
経営者としての大学教員
この実態を踏まえると,理系ラボのPI教員の大きな仕事は予算の確保であり,実質的に経営者のスキルが求められていることがわかるだろう.PI教員が多くの研究成果を上げるためには,研究のための予算が必要である.その予算は実験設備/論文出版費/出張費などに使われるだけではなく,優秀な学生をTRA雇用に使用したり,研究員(ポスドクや特任教員)の雇用に使用(つまり人件費の確保)したりするという事だ.ラボの研究費については記事ラボの研究費についてを参照する事. 理系においてラボ運営とは実質的に「経営」に近い.PIは学生と共同研究することで研究を進め,その結果を共著論文化する.更に学会で発表することで研究結果を世界中の同僚 (peer) に周知し,研究に関する名誉 (credit) を得る.その研究成果/名誉を元に研究費を獲得し,ラボの「経営」に使用する.このサイクルを定年まで永久に回し続けることが求められている.
もう少し普通の会社経営との比喩を深堀してみよう:
1. 企画:PI教員がプロジェクトのアイディアを出す.
2. 金策:プロジェクトのアイディアを実施するための外部資金をPI教員が取ってくる(研究計画書の執筆)
3. 人事:プロジェクトのアイディアを実施するために,研究員の雇用や,学生のRA雇用を行う.
4. 生産:普通の会社での「商品」の対応物は学生/研究員との共著論文である.
5. 広報:会社では商品周知のために広報活動をする.ラボの場合,論文誌への掲載,学会での研究成果発表がそれである.可能なら広報を通じて他の「会社」(=他のラボ)との共同研究(業務提携)を行うことが望ましい.
6. 決算:研究成果が周知され,後続研究が流行すると,引用数が伸びる.これはある種の「決算」の類似物である.この成功実績を元にPI教員は昇進したり,ラボ予算を獲得し,ステップ1に戻る
つまり理系のPI教員は,通常の会社の「経営」にあたる部分を全部一人でこなす必要がある.その意味で理系ラボはワンマン社長が経営する中小企業に似ている.ハッキリ言えば,「経営」のスキルがないPI教員は,偉大な研究者になることが出来ない業界構造になっている.ちなみに,理系であってもPI教員はそれなりに社交的な人が多いが,それは上の仕組みのせいである.もちろん,「社交性」にも色々あり,産業界で求められる「社交性」とは種類が異なるかもしれないが,上記のサイクルを回すことが出来る意味での「社交性」をもたない研究者は,出世することはなかなか難しい.
例外的な程の天才教員は,たとえ社交的でなくても,自分だけで凄い研究を進めて世界をリードすることはありえる.理論系では特にそうだと思う.ただし,それでもラボ運営を効率的に行うことの優位性は大きく,ラボ運営が上手な教員の方が「偉大な研究者」になりやすい構造になっていることは知っておいた方が良いだろう.
余談:研究会におけるバンケット(懇親会)の重要性
上記の構造を考えると,バンケット(懇親会)を通じた社交活動の深刻な重要性がわかってくる.研究者は社交を通じて,様々な活動を行っている.例えば,将来雇用したい研究員を探して,優秀な学生を観察している.これは実質的な「人事面接」のようなものである.研究会中の発表を観察することもあれば,バンケットで人柄を確認することもある.更に,社交を通じてラボ同士の共同研究(会社で言う業務提携)を打診したり,研究成果の告知(会社で言う商品の広報活動)を行う.特にバンケットは非公式な雰囲気が出ているため,非公式にしか聞けないことも聞きやすく,社交の場所としては非常に大きな位置づけを占めている.ハッキリ言って研究は社交なしにはなかなか進展しない.研究会に必ず付随するバンケットは重要な広報活動の一貫であり,十分本業と看做すべきである.なので,可能な限りバンケットには参加し,社交をする必要がある.ちなみに英語では社交活動を "networking" と呼ぶ.Networkingは研究者になる上で欠かすことが出来ない.
論文執筆の重要性
また,上記の構造を考えると論文執筆は重要である.会社で言う「商品」に対応するのが論文であり,論文を書かない限り,教員は何も仕事をしていないのと変わらない.現代において,我々は職業研究者である.職業として研究を行っている以上,アウトプットは必須である.我々は給与をもらって研究活動を行っているのであり,大昔の様に貴族が趣味で研究しているわけではない.もし論文を書かずに昔の様な研究者を名乗るのであれば,給与を貰わずに趣味でやるべきではないか,と思う.また,もし昔ながらの「貴族的研究者」のように,少数の傑作論文しか書きたくない学生が居るとすれば,現代にそのような研究者は殆どいないので,考えを改めた方が良い(もしくは圧倒的才能を見せつけることで,自由に振舞う権利を実質的に獲得するかである.分野によっては許容されるかもしれない).仕事として研究者をやる以上,論文を書くのは「税金で生かされている者の責務」だと金澤は思う.